46
中東呼吸器症候群(Middle East Respiratory Syndrome:MERS)
病原体
2012年にサウジアラビア王国で初めて確認された新種のコロナウイルス科ベータコロナウイルス属の中東呼吸器症候群コロナウイルス(Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus: MERS-CoV)
感染経路
ヒトコブラクダがMERS-CoVを保有しており、ヒトコブラクダとの濃厚接触がヒトへの感染リスクであると考えられている。ヒト-ヒト感染の効率は高くないと考えられるが、感染予防策が十分ではない空間(医療機関、救急車内、や居住空間など)では、限定的なヒト-ヒト感染も報告されている。また、一部の患者から予想を超えて多くの二次感染が起こる「super spreading現象」も報告されている。感染様式は飛沫感染であり、明らかな空気感染の証拠はないが、MERS-CoVの一部が空気中から発見されたという報告もある。
流行地域
2012年にサウジアラビア王国で初めてMERS-CoV感染者が報告されてから、2024年4月21日までに、全世界では、WHOの全6地域、27カ国から合計2,613人のMERS-CoV感染例と941人の死亡例が報告されている。そのうち、サウジアラビア王国からは、2,204例の感染例(84.3%)と860例の死亡者が報告されている。2019年以降、アラブ首長国連邦、ヨルダン、カタール、オマーン、クウェートなど中東地域以外からは感染者が報告されていない。ヨーロッパや東南アジアからも報告があるが、いずれも流行地域で感染したと考えられる症例である。中東地域以外では、2015年5月に中東から帰国した1例に端を発した医療現場でのアウトブレイクが発生し、186例(韓国185例、中国1例)の確定例と38例の死亡例が報告された。
発生頻度
現時点では、上記の中東諸国に限定的な患者発生である。
潜伏期間・主要症状・検査所見
潜伏期間は2~14日(中央値は5日程度)。感染率に関するサウジアラビアの調査では217の家庭内接触や200を超える医療従事者の接触により、5人の家族と2人の医療従事者が感染の伝播を認めており、4%程度の感染伝播が想定されている。また、病初期においては感染性が低い可能性が推察されている。無症状例から急性呼吸窮迫症候群(ARDS)を来す重症例まである。発熱、咳嗽等のインフルエンザ様症状から始まり、急速に肺炎を発症し、しばしば呼吸管理が必要となる。下痢などの消化器症状のほか、多臓器不全(特に腎不全)や敗血症性ショックを伴う場合もある。
予後
致死率は約36%と報告されているが、報告されていない軽症例や不顕性感染例などが見逃されている可能性があり、過大評価の可能性も指摘されている。高齢者および糖尿病、腎不全などは重症化のハイリスクである。
感染対策
本症は致死率が高く、特異的な治療薬・予防薬が無いこと、また一部の症例でsuper spreading現象が見られることから、医療現場で感染患者をケアする場合は、レベルの高い感染防護策が求められる。疑い患者においては、原則サージカルマスクを着用させる。また、入院患者については、接触感染予防策を追加しさらにエアロゾル発生の可能性が考えられる場合(患者の気道吸引、気管内挿管の処置など)には、空気感染予防策を追加する。空気感染予防策に関しては、具体的には、手指衛生を確実に行うとともに、N95マスク、手袋、眼の防護具(フェイスシールドやゴーグル)、ガウン(適宜エプロン追加)を着用する。また、疾患の重篤性などを考慮すると入院に際しては、陰圧管理できる病室もしくは換気の良好な個室を使用することが望ましい。医療施設外での感染対策としては、流行地域ではラクダとの接触を避け、手指衛生などに配慮する事が勧められる。十分に加熱されていないラクダの乳や肉を食すことも避ける。
法制度
感染症法上の二類感染症に指定されている。医師は、MERS確定例、無症状病原体保有者、疑似症患者を診断、もしくは感染症死亡者、感染症死亡疑い者の死体を検案した場合は直ちに最寄りの保健所に届け出る。また、疑似症と診断された患者は、保健所が感染症指定医療機関に移送する。
診断
2024年10月時点では、患者発生地域が限局していることから、流行地への渡航歴があることや、ヒトコブラクダとの接触の有無から本疾患を疑う事ができる。そのため、渡航歴の確認や、ヒトコブラクダとの曝露歴の確認が極めて重要である。確定診断は、感染症法上の届出基準に基づいて実施する。すなわち、鼻腔吸引液、鼻腔拭い液、咽頭拭い液、喀痰、気道吸引液、肺胞洗浄液、剖検材料などを材料として、分離・同定による病原体の検出もしくは検体から直接のPCR法による病原体の遺伝子の検出により診断する。2024年10月時点では、検査は通常医療機関では実施できないので、まず保健所に相談し行政検査にて実施する。
診断した(疑った)場合の対応
最寄りの保健所に連絡し、指示を受ける。自施設に滞在中は、個室に収容し、上記の感染対策を開始する。
治療(応急対応)
2024年10月時点で、有効性や安全性が確立された治療法は存在せず、それぞれの症状に合わせた対症治療を行う。これまでの知見では、MERS患者に敗血症が合併する十分なエビデンスはないので、WHOはMERS患者に対する抗菌薬投与は、個々の症例の臨床的判断によるとされている。一部の報告でリバビリンとインターフェロンによる併用療法が、短期間の予後改善の効果を認めているが、長期予後の改善は認めなかった。免疫グロブリン療法の報告例もあるが効果は明らかではなく、またステロイド投与は推奨されていない。
専門施設に送るべき判断
本感染症の患者もしくは疑似症患者には、法に基づく入院勧告がなされ、特定、第一種あるいは第二種感染症指定医療機関のいずれかに入院となる。自施設が感染症指定医療機関でない場合は、保健所の指示により転送させる。
専門施設、相談先
最寄りの保健所に相談する。転送する感染症指定医療機関と事前に情報交換する。
役立つサイト、資料
- 厚生労働省.中東呼吸器症候群(MERS)について.
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers.html. - 厚生労働省.感染症法に基づく医師および獣医師の届出について.中東呼吸器症候群(MERS).
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-12-02.html. - WHO. Middle East respiratory syndrome coronavirus (MERS-CoV) .
https://www.who.int/health-topics/middle-east-respiratory-syndrome-coronavirus-mers#tab=tab_1. - CDC. Prevention and Control for Hospitalized MERS Patients.
https://www.cdc.gov/mers/hcp/infection-control/index.html.
(利益相反自己申告:
講演料:ギリアド・サイエンスズ株式会社
研究費・助成金など:株式会社キアゲン)
国立国際医療研究センター国際感染症センター 石金 正裕